ゲーム徒然草


 2003年度私的ベストゲーム (2003/12/31)

 1位 乱世之王者

 フリーゲームでありながら、シミュレーションゲームに一石投じた作品でしょう。コンピューターがプレイヤーに対して包囲網を作ってくるあたりがまさに革新的。将来性、期待性が非常に感じられるまさにダイヤモンドの原石と呼べる作品でしょう。また、個人的には音楽が大のお気に入り、非常にゲームの雰囲気に溶け込んでいます。なお、ほとんどの君主、ほとんどのシナリオで私はクリアし、農民軍ですらクリアしたという素晴らしいゲームです。ただ、シミュレーションゲームの不遇の時期なのか、世間的にあまり評価が高くないようなのが納得いかないところ。


 2位 Wire Hang

 物語主導のゲームが溢れる中、久しぶりにゲームというものはこういうものだと強く思い出させてくれたゲーム。ゲームに与えられた物語はいらないのです、ゲームをすること自体に物語が産まれてくるべきなのです。ただひたすら上を目指して進んでいく求道的なゲーム展開は昔ながらの匂いを感じさせます。まぁ、今となってゆっくり考えれば、操作方法とステージデザインに改善する余地はあるかなと思います。ただ、それは期待の裏返しと受けとってもらいたいです。


 3位 痴漢冤罪シミュレーション

 逆転裁判以来、コマンド式アドベンチャーゲームに可能性を感じさせてくれたゲーム。一番、注目すべきところ・見習うべきところは教育的要素、人材の育成でしょう。ベストエンディングがちょっとしたネタを含んでいて、それもゲームとしての面白さを呼び起こしていますね。それとグラフィックが微妙な味を出していて、ヘタウマとも呼べる良い感じに仕上がっています。フリーゲームならではの市販のゲームと競合しないような内容で好感が非常にもてます。


 ベストゲームが全部、フリーゲームになってしまったのが自分でも意外ですね。RPGツクール、JAVAスクリプト、フラッシュと製作手段・製作媒体は様々ですが、面白かった、可能性を感じたということを基準に選定しました。容量が小さいというのは気軽に遊ぶことができるので、それは利点でしょう。ファミコンなどのレトロゲームやメイドインワリオが流行った理由もうなずけるところです。
 国産家庭用ゲームで目を見張るものがまったくなかったのは非常に残念。強いてあげれば、メイドインワリオともじぴったんぐらいですね。もっとよく考えてもらって、日本のゲーム会社には頑張っていただきたいです。一言で、一目で核心を突くようなゲームが欲しいですね。
 時間的に長く遊んでいたのは、 AOC RtCW です。ネットゲームは遊ぶ相手によって何度でも遊べてしまうのがすごいというか、恐ろしいところ。ネットゲームは擬似レンタル制を考えた方が良いのではないかなとか思ったりもします。いわば、入場券みたいなのを買って遊ぶといった感じですね。あるいは、バージョンアップに課金制度を設けるとかですね。ゲームを遊び手に売り払ってしまう仕組みは、構造的にバージョンアップにあまり期待できないので遊び手からするとちょっともったいない感じもするのです。スポーツや将棋とかと同じように、ゲームって時間をかけて、じっくりと洗練化させていくべきだと思ったりするのですよ。

 メイドインワリオの革命 (2003/12/29)

 重厚長大といったようなゲームばかりが良いのではなく、軽く楽しく遊べるゲームも良いということ。クリアするのに数十時間も必要とするゲームが必ずしも望まれていないということ。10秒、30秒、1分などといった細切れの時間で遊べるゲームも必要とされているのでしょう。

 ポケモンの革命 (2003/12/27)

 ポケモンは価値の転換とも呼べる革命を起こしましたね。ゲームって一番大切なのは面白さなのですよ、それは容量とかでは全く計れないものなのです。GBというかなり制限のあるハードウェアにも関わらず、ソフトの力でハードを盛り上げた力は驚異的ですね。

 攻略本ゲームの死滅 (2003/12/25)

 攻略本を必要とするゲームにはもう飽き飽きです。攻略本を必要としないゲーム、あるいは、攻略本があったとしても役に立たないゲームを考えるべきですね。カンニングありの学校のテストを受けるようなゲームを私は面白いとは思えないのです。自分の頭で攻略法を考えるゲームが良いですね。

 価値の創出3 (2003/12/24)

 価値の創出を考えるにあたって、私自身の目指すべき目標は何かというと、ディズニーとポケモンでしょうね。無謀とも言えるかもしれませんが、一歩一歩少しづつ近づけて行けたら良いなと思います。ディズニーとポケモンの共通点、さてそれはなんでしょうか?

 価値の創出2 (2003/12/23)

 ドラッカーという人が『あらゆる組織は直接の成果、価値の取り組み、人材の育成という3つの貢献をしなければならない。』と言ってました。さてはて、今のゲームを製作している組織はこの3つの貢献ができているでしょうか?なお、私自身もまったくこの3つの貢献をできていないようにも思えます。目的は定まったので、次は目標ですね。

 優先順位 (2003/12/21)

 ポケモンの製作者の田尻智氏はゲームに昼飯代すら注ぎ込みました。つまり、ゲーム欲(?)が食欲に打ち勝っていたといえるでしょう。問題なのは優先順位ですね。食欲に打ち勝つゲームは今あるでしょうか?昔はありましたよ、時間や睡眠欲や食欲すらも忘れさせてしまうゲームが。そういうゲームが欲しいですね。

 リアルタイムという魅惑 (2003/12/20)

 さらに気づいたこと。リアルタイムゲームの方が私的名作ゲームが多いということ。リアルタイムであれば、ゲームがよりいっそうゲームらしくなるという感じですね。非リアルタイムはできることがリアルタイムよりも少なくなるので、構築するのが難しいと言えるかもしれません。まぁ、将棋のようなゲームはアレはアレで楽しいのですけどね。

 ジャンルという魅惑 (2003/12/19)

 さらに気づいたこと。どのゲームも操作方法は違っている、異なるジャンルのゲームということです。言わば、新しいゲームと言えるでしょう。ジャンルを構築するということは、ある意味、天才しかできないことかもしれません。が、研究してやってみる価値は十分にあるといえるでしょう。自分らしいゲームの構築、これが重要ですね。

 世界観という魅惑 (2003/12/17)

 さらに気づいたこと。どのゲームもしっかりとした世界観があり、そのゲームの世界にスムーズに没入することができること。言わば、余所から借りてきたようなパクリではない本物の世界。これは製作者自身の中にあるものをしっかりと表現しきっていると言えますね。まさに作品と呼べるに相応しいゲームです。

 選ぶという魅惑 (2003/12/15)

 個人的名作ゲームを並べて気づいたこと。言わば、名作ゲームには『選ぶ』という共通点があるということ。マリオ3ならステージを選ぶ、DQ3なら職業を選ぶ、スト2ならキャラを選ぶ、タクティクスオウガならルートを選ぶ、AOEなら文明を選ぶ、RtCWなら職種を選ぶ、ということです。うん、これは非常に使えるな。

 饅頭とゲーム (2003/12/12)

 饅頭もゲームも同じ商品ですね。お客さんを馬鹿にした饅頭は誰も買わないでしょう。同様に、お客さんを馬鹿にしたゲームも誰も買わないでしょう。

 個人的名作ゲーム (2003/12/10)

マリオ3
 軽快な音楽、気持ちの良い操作性、凝りに凝ったステージ。
 アクションゲームの最高傑作。まさに素晴らしいゲーム。

DQ3
 夢の中で見るほど、このゲームが欲しくてたまらなかった。
 あの時のドキドキワクワク感はもう味わえないものか。

スト2
 これもやりたくてやりたくてしょうがないゲームだった。
 治安の悪いゲーセンに駆り立てる原動力となりえたゲーム。

タクティクスオウガ
 メッセージ性には腰が抜けるほどの衝撃を受けた。
 ゲームもここまで来たかという感慨がこみ上げた。

AOE
 新しい概念が満載で、夢中になって遊んだゲーム。
 特に画面の向こうの人と対戦するのは興奮の渦の中だった。

RtCW
 ひたすらに面白い、ただ『撃つ』ということがここまで面白いとは。
 シューティングが死んだジャンルではないことを思わしめたゲーム。

 ゲームを批評すること (2003/12/9)

 思うのですが、ゲームの批評に点数をつけるのはどうなのですか。批評って文字通り、批判と評価の両面を行うことですよね。批判と評価が両面できっちりと文章化されているなら、点数で評価しなくても済むと思うのですが。また、批評って他人に伝えるための文章なので、点数を用いることで主観がどうしても混じるのでやめたほうがいいと思ったりもします。まぁ、遊ぶ側の人間がどうしても点数による評価を望んでいるからこそ、いまだにあるのでしょうね。なお、元ゲームクリエイターの飯野賢治氏の考えに近づいている気がしたりもします。

 泣けるシナリオ (2003/12/7)

 『このゲームのシナリオは泣けた!』と他人に言いふらす人がいますよね。純真な人であるというか、騙されやすい人であるというか、私としては微妙な心境ですね。まぁ、その人が感動して、泣きたいのならそれでいいのですが、他人にそれを押し付けようってのは気持ちが悪いです。ゲームで泣けるシナリオ?私からすれば、どうでもいいことであり、望まぬことですね。

 ゲームとシナリオ (2003/12/5)

 私が思うに、『シナリオが面白いからこのゲームは面白い!』と感じられたゲームはほとんどないです。挙げるとするならば、タクティクスオウガくらいなものですね。シナリオがあるゲームでそのシナリオが酷いものだとそれはゲームの出来が酷くなります。結論から言って、ゲームのシナリオはあっても良いのですが、ないほうが良いともいえます。というと、誤解を招きそうですね。簡単にいって、ゲームとシナリオは水と油のように馴染みにくいものと思うのですよね。

 接待ゲームの是非3 (2003/12/3)

 が、接待ゲームは売れているという事実。資本主義である故に、遊び手に必要のない娯楽はどんどん消えて、なくなっていくのですから。ゲームが面白くなくなった1つの理由として、それは遊び手せいであると思うのです。なんというか、人々が政治家を選挙で選ぶのと似ていますね。そういう意味で、遊び手も賢くなる必要があるでしょう。また、ゲーム製作者は遊び手を育てる努力を行うべきです。

 接待ゲームの是非2 (2003/12/2)

 実は、接待ゲーム自体が良いとか悪いとかいう問題ではないでしょう。ただ、接待ゲームが増えすぎたことに問題があると思うのです。また、接待ゲームにはゲームとしての面白さがあまりないところが問題であるとも言えますね。誰でもクリアできるような接待ゲーム、それは果たしてゲームと呼べるのか?絵や音楽がついているだけの絵本とも言えるような気がするのです。

 接待ゲームの是非 (2003/12/1)

 接待ゲーム、これは私が勝手に名付けていますが、遊び手を接待して、もてなすゲームです。接待ゲームの代表作といえば、DQやFFのRPGでしょう。これらのゲームでは、主人公であるあなたは何故か、世界の危機を救う英雄となれます。しかも、それは大した能力を必要とせず、ほとんど誰でも世界を救うことができるのです。はたして、これらのゲームは良いのでしょうか、悪いのでしょうか?

 すごいゲーム3 (2003/11/30)

 しかし、人間を廃人ゲーマーにまでさせてしまうゲームはまずいですね。それは社会的にまずいというか、なんというか。(下記のカツアゲや万引きも同様にまずいですが。)それと、DQ3は発売日には会社や学校を休んだ人が多かったみたいですが、これはどうなんでしょうか。一種の祭りみたいなもので肯定するべきものなのでしょうか。まぁ、人の心を狂わせるゲームを製作するのが先かなとも思ったりしますが。

 すごいゲーム2 (2003/11/28)

 その意味で、カツアゲとか万引きを多発させ、青少年を狂わせたDQ3とかのゲームはすごいですよね。って、これはざるの会の王様の本望で既出ですね。たかがゲームのくせに、これほどまでに人の心を狂わせるゲームとはすごいです。さてはて、どうやれば人の心を狂わせられるのでしょうか、これは今後の課題ですね。

 すごいゲーム (2003/11/27)

 実は、誉められるゲームってたいしたことないです。一番すごいのは、けなされるゲームです。大人や親やPTAや世間から徹底的に、けなされるゲームこそがすごいゲームといえるでしょう。何故なら、ゲームが普段ゲームをしない人の話題になるのですから。一番ダメなのは、ぜんぜん話題にならなくて、見向きもされないゲームですね。娯楽であるならば、話題提供も考えてゲームを製作することも大切ですね。

 ゲーム職人 (2003/11/26)

  エンパイヤーズ というゲームの制作者のインタビュー。ゲーム製作者はかくあるべき姿のような気がします。

 欲しいなぁ。 (2003/11/24)

 Xboxの Return to Castle Wolfenstein (北米版) が欲しいなぁと。いや、PC版を持っているのですけどね。しかし、あの本体のでかさは困るなぁと思いつつ。しかも、ほぼこれしか遊びたいソフトがないのが痛いところ。マイクロソフトさん、期待していますんで、頑張っていただきたい。マイクロソフトが閉塞したゲーム業界を一新してくれる可能性が一番高いかと思っているのですが。

 人気投票 (2003/11/23)

  人気ファミコンソフトナンバーワン決定!! ってな人気投票があったみたいです。うーん、言わずと知れた名作ゲームぞろいですね。任天堂が強いなぁ、と思わしめる人気投票かなと思います。やっぱり昔のゲームは面白かったなと思い至るわけでもありますが。

 文書で反省 (2003/11/20)

 ふと、 エスケーさんのサイト ここ を見ていると、ふと自分の作ったゲームの反省点を文書でしっかりとまとめておきたいなという衝動が湧き立ちました。あぁ、あれからもう1年経っちゃったんですね。光陰矢のごとしとはこのことですか。

 分析力を競うゲーム (2003/11/19)

 分析力を競うゲーム。うーん、戦略性を競うゲームとほぼ同義かもしれませんね。将棋やオセロや碁なんかはこの分析力を競うことが主になっているでしょうね。でも、将棋とかは定石をまずは覚えることから始まるから、記憶力も多分に必要ですねぇ。この分野のゲームは禁欲的な修行みたいな行為が必要なので、ほぼ死滅しかけてますね。いや、どうなんでしょうか。多くの人はゲームの面白さのためにそれほど難しいことや面倒なことをしないですからねぇ。

 記憶力を競うゲーム (2003/11/18)

 記憶力を競うゲーム。例えば、神経衰弱のようなゲームは記憶力を競うゲームですね。4択のクイズゲームも記憶力を競うゲームといえるでしょう。神経衰弱は運の要素も多分に含んでいて、おもしろいですね。逆に、4択のクイズゲームは神経衰弱と比べると運の要素がかなり少なくて面白くないかもしれません。でも、4択のクイズゲームは正解や間違いによって教育的要素がありますねぇ。とまぁ、独り言。

 グラフィック2 (2003/11/16)

 やはりグラフィックには力を入れるべきですね。グラフィックによって、話題性とか遊んでもらえる可能性が落ちるのもこれまた事実。手前味噌ながら、ASはできる限りグラフィックには力を入れませんでした。というより、優先順位の問題で、ゲームの面白さをグラフィックよりも優先したのですよね。で、何を犠牲にするかというと、ゲームの量でしょうね。短くすっきり終われるゲームを目指そうかなと。まぁ、ゲームの面白さを最優先するのは変わりませんけどね。

 遊びと教育 (2003/11/15)

 遊びって教育にかなり近いかと思います。例えば、ライオンの子供の兄弟はじゃれあって遊びながらも、獲物を取る教育を受けているもののようですよね。無意味なゲームは虚脱感や無力感を呼び起こしますよね。だからこそ、ゲームと教育を結び付けて、意味のあるゲームを製作するべきじゃないかと思ったり。

 1ジャンルに1つの名作ゲーム (2003/11/14)

 私、ふと思ったんですけど、大体、1ジャンルには1つの名作ゲームしかありませんね、多くても5本以下です。ここでの名作ゲームは歴史に名を残すようなゲームであると考えています。要するに、何かをパクッたようなゲームは記録にも記憶にも残らないというか、そんな感じです。最終的には、ジャンルを作るようなゲームを目指すべきかなと思います。

 『できること』と『作りこみ』 (2003/11/13)

 昔のゲームはできることが少ないからこそ、作りこむことができ、今のゲームはできることが多いからこそ、作りこむことができないのではないでしょうか。やっぱりしっかりと絞りこんだゲームを製作するべきですね。そのためにも多くの人数で話し合いで決めるのではなく、ゲームの根幹は1人で決定するべきではないかと思ったり。

 介助犬シンシアに学ぶゲーム製作 (2003/11/12)

  介助犬シンシア に学ぶゲーム製作。やはりゲームは仮想だけではなく、現実からも題材を持ってくるべき。やはりそのためには製作者は生の体験をもっと経験するべきですね。薄っぺらいゲームなど、遊ぶ必要がないというか。それに現実の題材だと受け入れられる層も広くなるはず。ただ、この手のネタをそのままゲームにしようとすると、説教くさいゲームができるのは目に見えていますね。テレビでできることをゲームでしても全く無駄で徒労に終わるでしょうから。しかし、テレビの介助犬シンシアは一部の隙さえない完璧に作りこまれた作品でしたね。この完成度は是非見習うべき。あと俳優の演技がとても良かったのが印象的。社会的提言も織り込まれていて、価値ある作品だったと思います。

 高いけど・・・、 (2003/11/11)

 ゲーム製作者は高いけど、面白いゲームで買わざるを得ないなというゲームを目指すべき。そのためには、唯一とも呼べるべき独自性が必要でしょう。その独自性は自分自身の中にあるはず。

 10年後 (2003/11/10)

 10年ぐらい語り継がれるゲームこそが名作ゲームといえるでしょう。さてはて、最近のゲームで10年残るゲームはあるでしょうか?ゲーム製作者は10年残るようなゲームを製作するように心がけましょう。といっても、それはなかなか難しいですね。まぁ、理想みたいなものですか。

 大人に受けるゲームを目指そう (2003/11/9)

 子供だましのゲームはつまらないですので、大人でも楽しめるゲームが欲しいですね。ゲーム製作者は少子化のそれほど期待できない層を狙うんじゃなく、お金に余裕のあるような大人の層を狙うべきです。ファミコン世代の層は特に面白いゲームに飢えていると思います。何故なら、ここに1人そういう人物がいるからです。

 マトリックスに学ぶゲーム製作 (2003/11/8)

 第3部については、まだ見てないのですが、マトリックスに学ぶゲーム製作。1つ目は、観客が『おぉ!』というインパクトや面白さを必ず用意してること。TVCMの予告編でもそれはわかりますよね。2つ目は、独自性の創出。とにかくマトリックスのどこの断片でも独自性は用意されてますよね。緑色の反転した日本語のカタカナが縦に流れてる演出はまさに最たるものだと思います。3つめは、教育的要素ですね。子供だましじゃなくて、大人でも楽しめるようなある主題の元にきっちり作っているのがわかりますよね。ネオってネオキリストってことかな?とか、認識論や懐疑論の哲学で構成されてるなとかです。

 ジャンル分けの愚 (2003/11/7)

 自分でジャンル分けをしておいてなんなのですが、製作者はジャンル分けにこだわらないほうがいいです。大切なのは自分がどんなゲームを製作したいのか、ということでしょう。あるジャンルのゲームを製作したいと考えるならば、過去のゲームに引きずられることが間違いないからです。どうせなら、自分自身のゲームが新しいジャンルを産み出すような大志を持ったゲームを製作しようよってことです。

 とりあえず私的ジャンル分けのまとめ (2003/11/5)

 戦略性を競うシミュレーションゲーム、反射神経と技術を競うアクションゲーム、ごっこ遊びと演劇のロールプレイングゲーム、鑑賞と干渉のシミュレーションゲーム、思考を問うパズルゲーム。
 シミュレーションゲームが2つあるのが気に入りませんね。何かもっと他の言葉にしたいなと思いつつ。まぁ、ゆっくりと時間をかけて、じっくりと考えますか。

 思考を問うパズルゲーム (2003/11/4)

 2つの方向性と(2003/10/4)の続きで5つ目。思考を問うパズルゲームですね。倉庫番やテトリスなどはこのジャンルに当てはまるでしょう。このジャンルは一人で遊ぶのに都合が良いジャンルですね。実はテレビゲームこそ、一人で長く遊ぶことのできるのではないでしょうか。このメリットは活かすべきです。RPGにパズル要素が多いのはそういう理由なのではないかと思ったり。

 鑑賞と干渉のシミュレーションゲーム (2003/11/3)

 2つの方向性と(2003/10/4)の続きで4つ目。鑑賞と干渉のシミュレーションゲームですね。具体的にはシムシティ系のゲームですね。蟻の巣をいろいろといじってみるとか水族館を再現しているみたいな感じのゲームですね。このゲームはゲームの中である対象が勝手に思考して行動するって所が新しかったですね。RTSなんてこのあたりが進化の可能性があるんじゃないかと思ったり。大局的な指示で勝負を競うってのはどうですか?

 ごっこ遊びと演劇のロールプレイングゲーム (2003/11/2)

 2つの方向性と(2003/10/4)の続きで3つ目。ごっこ遊びと演劇のロールプレイングゲームですね。その世界にずっといてもいいってのはアクションゲーム、シミュレーションゲームにはなかったことですからね。確かに革新的だったゲームジャンルですね。まぁ、長く続いているので、弊害もいろいろ出てきたと思ったりもしますが。良いは悪い、悪いは良いですか。

 可能性 (2003/11/1)

  痴漢冤罪シミュレーション というゲームに久しぶりにゲームの可能性を感じました。ADVでは逆転裁判以来の感触ですね。つか、素人のほうがプロより良いアイデアだすってのはどうなのよ、って気もするのですが。やっぱりネタはよくよく考えなきゃだめだなぁと痛感したりもしますね。

 製作者は遊び手を育てよう (2003/10/31)

 製作者がいきなり遊び手にむちゃくちゃ難しいゲームを提示してもそれは受け入れられないでしょう。段階を踏んで、製作者は遊び手を育てる努力をするべきかなと考えたり。いつまでも遊び手を甘やかすようなゲームはいつまでもつまらないような気がしたり。まぁ、初心者が入れ込めないようなゲームを製作するのはダメなのですけどね。幅は広くて奥は深い、うーん、むずかしい。

 現状のRPGの問題を考える2 (2003/10/30)

 日本の代表的なRPGのDQとポケモンで忌避されているのは『主人公の死』ですよね。DQは死んでも、それは死ぬってことじゃなくて気絶みたいな扱いです。ポケモンなんかそれが特に顕著で主人公もポケモンも絶対に死ぬことはないです(ポケモンは軽く遊んだことしかないですが)。死って結構、身近でありふれたものだと思うのですけどねぇ。この文章を書いている私自身もこの文章を読んでるあなた自身も次の瞬間に死ぬ可能性は確実にあるのです。日本のRPGの源流とも言える(?また微妙な問題ですが)WIZなんかは簡単に主人公の存在が死によって消えちゃいますよね。新しいRPGを考え出すなら、DQで捨てた道をもう一度掘り返してみたらどうかなぁとか思っていますが。

 現状のRPGの問題を考える (2003/10/29)

 現状のRPGの問題としては戦闘主体の戦略抜きのパワープレイとインフレ上昇していく能力値かなと。思うんですけど、戦闘能力が強い人ほどRPGの世界では優遇されてますよね。でも、現実はそうじゃなく、軍隊の兵士も一般生活者も同じ身分(というか、同じ権利を持っている)ですよね。で、現実であらゆる人間に等しく与えられている資源は時間ですね。やっぱり、時間って物をRPGに導入すべきかなと思ったり。ちょっと説明不足な文章ですね、まぁ、いろいろと想像してみて下さい。

 張りぼて作るな (2003/10/28)

 中身のないゲームは製作しないで欲しいですね。もっとしっかりと考えて、ゲームの核となる部分をギンギンに絞りこんで欲しいです。ゲーム製作で最も必要なことは考える能力ではないでしょうか。

 私が国産ゲームを買わない理由 (2003/10/27)

 ここでは、何故、私は書籍を買うのにゲームを買わないのかという理由を考えてみようかと思います。
 1つ目の理由として、ゲームに知識を求めることが期待できないからです。この知識が欲しいから、このゲームを買おうってことは皆無ですね。つまり、今の国産ゲームには教育的要素が全くないのですよね。その意味では陳腐な内容のゲームが多いのではないでしょうか。言わば、大人が楽しめるゲームが全くないというか。これは非常にまずい問題だと思いますね。対比して、海外のPCゲームには大人も楽しめるような内容のゲームがあってわくわくしますね。歴史や戦争や政治をわかりやすく取り扱ったゲームは本当に興味津々になってしまいます。
 2つめの理由として、焼き直したゲームが多くて、遊ぶ前からどんなゲームか予想できるからです。あぁ、これがこうなってこうなるんだろうなというのが見え見えなのです。既視感に覆い尽くされているような感じですね。似たり寄ったりのゲームが多くて、独自性と斬新さが欠如しているかなと。
 3つめの理由として、ゲームは娯楽であるはずなのにぜんぜん楽しめそうになくて、無駄に時間を浪費してしまいそうな感じなのです。簡単に言えば、時間を忘れて遊んでしまうような面白いゲームがないことですね。ゲームが大規模になっていることも原因でしょうか。そんなに長い時間を用意できないのですよね。

 あれれれ (2003/10/26)

 ふと考えることがあります。私はゲームを製作している都合上、ゲーム製作のために必要な資料用の本を結構な勢いで買っています。しかし、最近、ゲームはあまり買っていません。果てさて、この状況はかなりまずい状況ではないかと自分でも思っちゃうわけですよ。いや、ゲームは遊んでるのですよ、しかし、ずいぶん前に買った海外のPCゲームをやりつづけているのと、フリーゲームをたくさんやっているわけなのです。総金額でいえば、ゲームよりも書籍の方が圧倒的に上回っていますね。これは困った。では、次回へ続く。

 価値と値段2 (2003/10/25)

 海外のアマゾンとかに行ってみればわかるのですが、海外のゲームって安いのですよねー。最新作でも5000円程度で買えちゃったりするのです。やっぱり国産のゲームに頑張って欲しいところではありますね。まずは面白い、その次に手軽に買えるでよろしくお願いします。

 価値と値段 (2003/10/25)

 ゲームってCDのように3000円ぐらいで手軽に買えればいいなぁと思ってた時期が私にはありました。でも、それはいまはちょっと微妙な感じです。というのは低価格のゲームが現在氾濫しているのを見て、まるでゲームにまったく価値が無くなったかのように思えるからです。まぁ、面白くないゲームは価値がないのは当然なのですけどね。うーん、しかし、SFC後期の異常なソフトの高騰の時代よりはましかな?いや、どっちもどっちなお寒い感じですかね。どちらにせよ、ゲームを買わなくなるわけですから。これは是非、買いたいなと思わせる面白いゲームこそが必要ですね。

 グラフィック (2003/10/24)

  この書籍 にて『ADVENTURE STORY』を紹介していただいたので、ここで微力ながら宣伝してみます。本屋で見かけた時は、手にとって見てくださいね。
 この書籍を見てみると、グラフィックに力を注いでいるゲームが多いなと改めて思いましたね。確かに遊ぶ側からすると綺麗なグラフィックであれば、興味や関心が高くなりますよね。フリーゲームであるのに、グラフィックを頑張ってるのはすごいなーと素直に感心しちゃいますよ。

 不満こそが原動力 (2003/10/23)

 他者のゲームを窺うような出来のゲームってなにか印象に欠けちゃいますね。ゲーム製作者は自分自身が抱く不満をゲームという製作物に思いっきりぶつけてみると良いと思ったりもします。不満を抱かないうちは、というより、不満を抱けないうちはゲームを製作しても力ない作品が出来ちゃうんじゃないかと思うのですよ。まぁ、個人的な考えですけど、私からすると不満こそが原動力なのです。

 また楽し (2003/10/22)

 RtCWというネットゲームで遊んでいたら、『DIRTY JAP(汚い日本人め)』と罵られてしまいました。他に日本人はいないようで、どうも私のことを言ってるようでした。理由を聞いてみると、私がラグって動けなくなった無敵の時に無駄弾を撃ってしまって、そのために次の瞬間に私に殺られたらしく、それで憤慨しているようでした。もちろん、私はわざとラグってるわけでないし、逆に私もラグのために殺られたこともあるのになぁとか思っちゃいました。やっぱりネトゲーはこういうすれ違いや摩擦を産み出しますね。何故なら、画面の向こうには人間がいますから。しかし、こういう出来事もまた楽しですね。

 インフレの行きつく場所2 (2003/10/21)

 もちろん、ゲームのインフレは遊び手を驚かせるために必要なことかもしれません。しかし、インフレのほとんどはゲームバランスや戦略性をめちゃくちゃに破壊したものでもあるような気がするのです。実際にその大元になる古典と呼べるゲームの方がインフレ化したゲームよりも面白いなと感じることが多々あるのです。ゲーム製作ってよくよく考え抜かれた末に製作しければ、ダメだなと思うのです。いわば、他人のふんどしで作ったようなゲームでは全く話にならないってことですね。ただ単にインフレさせたゲームでは縮小再生産のゲームを産み出すだけと思うのです。

 インフレの行きつく場所 (2003/10/20)

 アクションゲームでこんなにも大きな敵を表示できるようになりましたよ。STGでこんなにもたくさんの弾を表示できるようになりましたよ。格闘ゲームでこんなにもたくさんのダメージを与えることができるようになりましたよ。RPGでこんなにも長く遊ぶことができるようになりましたよ。さてはてその後、それらは一体どうなったのですか?結局はゲームジャンルを死滅させただけじゃないですか?ゲームにおけるインフレの行きつく場所は廃墟しかないような気がするのですが。(ここでのインフレの意味はある物の量があふれて、その価値が下落することを意味します。)

 ゲーム大会 (2003/10/19)

  2003年度のWCG が閉会したようです。たかがゲームですけど、海外を含む人達とゲームを通じて交流できることは素晴らしいことですね。インターネット環境さえあれば、気軽に世界中の人とゲームができるというのは本当に素晴らしいことです。また、ゲーム大会が開けるゲームこそ、面白いゲームではないかと思ったり。それと、WCGで行われた大会で使用された日本産のゲームがなかったことはすこし寂しいなぁと思いましたね。日本のゲーム製作者の底力を見せて欲しいです。

 いいこともあるな (2003/10/18)

 なんと突然に、ゲームデザインを扱った素晴らしいサイトの N2 at gdl の管理人のN2さんからメールを頂いちゃいました。他人のサイトの掲示板に書きこんだり、ゲーム製作してみたり、サイト運営をしているといいこともあるなと思った秋の夜長でした。やっぱり『GIVE and TAKE』ですね。先に与えるからこそ、あとで頂けるんだなと思ったりも。

 今のSTGも死んでいる (2003/10/17)

 今の国産STGで私に興味を抱かせるゲームはありません。というのは、同じ概念を何度も焼き直しているに過ぎないからです。例えば、国産STGで現われる同じ概念といえば、敵の弾は自機の動きより遅いというのがあります。これはゼビウスやスターフォースの時代から全く変わっていない焼き直し概念です。他にもインフレした敵の弾を避けるためのボンバーという焼き直し概念がよくあります。さらに他にも自機の弾数は無限であるという概念もよくあります。ゲームだから仕方ないなどという泣き言をいう必要は全くありません。実は上記の焼き直し概念を覆したゲームがもう既にあるからです。そのゲームのジャンルこそ、海外で盛んなFPSという分野のSTGであるでしょう。新しい概念のゲームを提供することこそゲーム製作者に最も必要なことだと思います。そのために今ある常識を疑い、興味と好奇心を持って自問自答してゲームを製作して欲しいです。

 今のRPGは死んでいる (2003/10/16)

 今の国産RPGで私に興味を抱かせるゲームはありません。というのは、今のRPGは最適化されているからです。今のRPGの基本戦略は『HPが少なくなったら回復させて、打撃攻撃と敵の弱点要素を突く』の1つだけなのですよね。何故なら、製作者がそれしか用意していないからです。今のRPGを復活させるのならば、戦略性を高めるか、アクション性を高めるか、自由度と多様性を高めるかのどれかだと思いますね。RPGが正常進化していきたいのなら、自由度と多様性を高める方向性で行くべきかなと思います。まぁ、どういう方向で行くにせよ、プレイヤーを楽しく悩ませるようなゲームにすることですね。

 長ければ長いほど?3 (2003/10/14)

 さらにすこし考えてみて、『このゲームはクリアするのに100時間かかりますよ。』とゲームのパッケージに書かれていたら、あなたはどう考えるでしょうか?『長く遊べるんだ!』とゲームを手に取って喜び勇んでお店のレジに走りますか?それとも、『そんな時間はとても用意できないや。』と手に取ったゲームを元にあった場所に戻しますか?やはり個人個人によって考え方や行動は変わるでしょう。ここでの私の立場は後者なのですよね。前者の人用のゲームがあっても構いません。でも、後者の人用のゲームも欲しいのですよ。ゲームのクリア時間が長くなればなるほど、手軽に遊べなくなりますよね。このことって結構重要なことかも。

 長ければ長いほど?2 (2003/10/13)

 どうも下記の文章だと誤解される恐れが高いので補足しておこうかと。ゲームで良いとされる順列は 1.面白くて長く遊べる 2.面白いが短い時間しか遊べない 3.面白くない(長い、短いを含む) の3つかなと私は考えるわけです。もちろん、面白くて長く遊べるゲームはとても素晴らしくて、最も望ましいです。ですが、最近、長さを優先することで面白さが損なわれているゲームがやたらに目に付きます。簡単に言えば、水で薄めすぎたカルピスのようなゲームです。やっぱりゲームでは面白さを一番に優先するべきだと思うのです。すごく面白ければ、短くてもいいじゃないですか。ファミコンの名作でも短いからこそ面白いゲームは多々ありますし。

 長ければ長いほど? (2003/10/12)

 最近のゲームの感想で、クリア時間が長ければ長いほうがいいとか、あっさりと終わりすぎて物足りなくていまいちとか言う感想をよく見かけますが、これには私は断固として反対したいと思います。はっきりいって、すこし物足りないぐらいがちょうど良くて、短ければ短いほうがいいと思います。というのは、今、発売されているゲームは山のようにあり、遊ぶゲームに不自由しないからです。長ければ長いほど良いと言うのは私からすると間違ってます。正しいのは、そのゲームで遊び手にいかに楽しい時間を過ごしてもらえるかです。なお、私の上記の発言の『短ければ、短いほうがいい。』というのは『遊び手の時間を無駄にしないように配慮しているゲームがいい。面白さが凝縮されたゲームがいい。』という意味です。そのような例を具体的にあげるならば、フリーソフトのコンテストで優秀な賞を取った『盗人講座』や『囚人へのペル・エム・フル 』というゲームはわずか2時間程度で終わるのですよね。

 現実と接点のないゲーム (2003/10/11)

 私ははっきり言って、ちやほやされるゲームや完璧に1人に閉じられたゲームが好きではありません。伝説の勇者の主人公や女の子にもてもての主人公のゲームにはほとんど興味がありません。あまりに突飛な空想や夢想に流されるのが嫌いなのですよね。逆にどんなゲームに興味があるかというと、他人と交流することができるゲームです。ゲームには現実の生活の接点として機能して欲しいのです。そう考えてみると、やはり私にとっての基本のゲームとは将棋(縁台将棋)なのかもしれないと改めて考えてみたり。と、1人のゲーマーとして世界の片隅で声をあげておくことにします。

 今と昔を比較して (2003/10/10)

 昔のゲームにあって、今のゲームに足りないものは点を稼ぐことと技能を競うことではないかと思ったり。もう一度、原点に立ち返ってみるのもいいかなぁと思います。流行ってのは忘れた頃に何度も巡ってくるものですし。誰がやっても同じ、時間さえかければ何とかなるゲームは良い面もあるのですが、今はちょっとやりすぎだと思いますね。それと見栄えに拘り過ぎるゲームは個人的にはどうかなぁと思います。まぁ、これも個人の勝手で好きにしてくれとは思うのですが。やっぱりそれは私がゲーヲタであり、ゲーマーだからか。うーん、ゲーマーを喜ばせるゲームが欲しいですね。

 ネットワークゲーム (2003/10/8)

 多くの人がわいわいと集まって遊ぶネットワークゲーム(略して、ネトゲ)ですが、最終的な将来像はどんな感じになるのでしょうかねぇ。ネトゲは週末のグラウンドでわいわい楽しむようなスポーツに近い感じになるのかなぁとか思ったり。開発会社が公式の大会とか開いてくれると面白そうだなぁ、とか。チームを組んでいろいろな人と交流を持てるゲームがいいですねぇ。チーム内での協力とチーム毎での競争が大事になるゲームがいいなぁと思ったり。

 何回も遊べるゲーム (2003/10/7)

 何回も遊べるゲームが素晴らしいゲームの一つだと私は考えています。それだけに、何回も遊べるゲームを製作するのって難しいのですよね。何度でも遊べるようにするのに、手っ取り早いゲーム形態は対戦型ゲームだと思います。マリオブラザーズ、アイスクライマー、スト2、スマブラ、桃鉄などなど、自分以外の人間の相手がいるとゲームって割と簡単に何回でも遊べるようになるのではないかと思ったり。で、今、私が考えてるんですが、対戦型ではないゲームってどうやって何回も遊べるようにできるんでしょうか?ドルアーガやシレンやAOEのようにランダム自動生成を使うしか方法はないのかなぁ、と。ここも知恵の絞りどころですか。

 もっと過激に (2003/10/6)

 はっきり言って、最近の国産ゲームは過激具合が足りないように感じるところが多々あったり。もっと楽しませてもらいたいんですよね、ゲームが娯楽である以上は。今のゲームはゲーム画面を見るだけで、『おぉっ!』といわせる驚きが圧倒的に足りない、それと想像力を喚起するような要素がまるでないように感じています。逆にフリーゲームは過激なのが溢れていて、なんだかファミコン初期のような熱気がありますね。たくさんの駄作とわずかの名作が産まれて来る様子はとても楽しいものがあります。

 ミニゲーム (2003/10/6)

 ゲームの主題から外れたミニゲームはいらないなぁと思う今日この頃。大切なことはそのゲームの主題は何であるかを意識して作ることかな。お茶を濁すことほどくだらないってことはないって感じでしょうか。その意味で、メイドインワリオは誰もが突っ込みそうで突っ込めなかったところを突っ込んだゲームですね。うーん、このあたりのことが目の付け所が良いというんだろうなぁと。

 2つの方向性と (2003/10/4)

 ゲームって大まかに分けて、戦略性を競うシミュレーションか反射神経と技術を競うアクションしかないかなぁと思ったり。そう考えると何か物足りないですね。他にも何かあるような気がしたりするのですけど、何もないような気もしたり。これまでにほとんどあらゆる日常生活のことをゲームにしていますからね。もはやフロンティア(未開拓地)はないのでしょうか?いや、多分、どこかにありますね、ただ、私が凡人なので気がつかないだけでしょう。

 運 (2003/10/3)

 ゲームにおいて大事なことの1つは展開の多様性であるでしょう。一回しか遊べないゲームってあんまり面白くないような気がします。そこで有効な手段となり得るのは運という要素ですね。運を上手く絡ませるとするならば、多くの展開が待っているような気がします。運と呼べる要素をいかに上手く取り入れるかがゲームの肝かなぁと思ったり。トランプがいつまでたっても無くならないのはそのあたりのことなのでしょうね。

 伝説のゲーム (2003/10/1)

 伝説として語られるソフトの『マイケルジャクソンムーンウォーカー』のプレイを見てみました。これは確かに伝説になりうるゲームですね。見てて激しく笑ってしまうと同時に、見ているだけでいらいらしてしまうあたりが『あぁ、セガらしいゲームだなぁ。』と納得。あともう少し改良すれば、もっと良くなるのになぁと痛感します。詰めが甘いというか、練り込み不足というか、調整不足というか、そんな感じですね。イカシタセンスがいいだけにもったいないなと。なお、最後のステージには呆然としてしまいました。それとマイケルの真の姿は大爆笑。凡人にはできない発想というかセンスですね。

 やめてほしい (2003/9/27)

 キャラクターものをゲーム化するのはやめてほしい。といいつつも、今冬にPS2で出るゼータガンダムのエゥーゴVSティターンズはちょっと気になっていたりもしますが。まぁ、需要があるものを作るのこそが資本主義なのでしょうね。その点で言えば、作る側にも買う側にも同じだけの責任があるわけで。

 ゲーム観戦 (2003/9/26)

 ゲームの観戦って楽しいですよね。将棋、オセロ、人生ゲーム、モノポリー、コンピューターゲーム。自分でプレイするよりも他人のプレイを見ることの方が楽しいことが多々あります。それは何故かと考えると、他人の遊び方って自分の遊び方にはないものがあるからですよね。そして、それがためになり、次のゲームの反省材料にもなるし、それを通じて他人とも交流することができる。これはまさにゲームの増幅効果ですよね。他人が介在することによってそのゲームの輝きが何倍も増す増幅効果です。
 プロ野球というゲームはテレビ観戦できるのに、テレビゲームはテレビ観戦できないのが非常に不満ですね。需要は絶対あると思うのですけどねぇ、何故なら、私が是非見てみたいからです。RTSやFPSのあるゲームではインターネット放送したのがありますが、これは是非見習うべきですね。新しい技術は新しい世界を構成させる力を持っていますから。

 求めれば与えられる (2003/9/25)

 下記のこんなRPGって奴を書いてみて、少しネットをうろうろしてると求めるようなRPGを探し当てちゃいました。求めれば与えられるという奴ですか。なお、『不協和音のレクイエム』ってゲームです。このゲームはパーティ編成が楽しくていいですね。ある選択肢の中から自分自身で選んで、決定していくという過程は楽しいですね。その過程に反応の多様性があればあるほど、それは楽しくなると思うのです。選択するって行為は遊び手が参加するという行為に他ならないのでしょうね。

 こんなRPG (2003/9/23)

 最近のRPGは、主人公が勝手に決められていて、主人公が勝手に喋って、無理矢理に目的を決められるゲームが多くて辟易。ってか、主人公を自由に設定できて、自由に行動できて、自由に目的を決められるゲームが遊びたいです。まぁ、仲間が勝手に離れて行くとかいうのはわかるんですが、主人公が勝手になんかやるのだけはイヤだなぁ。誰か作ってください、私は喜んで遊びますので。DQ3はその意味で、かなりの大ヒットを飛ばしたと思うのですが、その方向からはすっぱり手を引きましたよね。まぁ、どうせ他人が作ったゲームじゃ満足しきれないような気もしますし、しょうがないから、私が作るかもしれませんねぇ。

 価値の創出 (2003/9/23)

 はっきりいって、今の国産ゲームは存在する価値がほとんどないというか、超インフレ状態の未曾有の悲惨な状態。発売されるゲームは多いのに、そのクリア時間がだらだらと長くて、もはや誰もゲームをやらないような状態。まぁ、フリーゲームの分野はなんとなく熱狂と勢いがあるような気がしますが。 この状況を目の前にして、私は価値の創出を行うべきだと感じますねぇ。そう、この超インフレ状態からは抜け出さなくてはならないのです。さてはて、ゲームの価値って一体なんでしょうか?私が考えるに、1に面白い、2に独自性がある、3にすごい体験ができる、この3つを満たすゲームが価値あるゲームじゃないかと思ったり。

 当面の目標 (2003/9/23)

 100の駄作より1の良作、物足りないぐらいであっさり終わる、密度は濃くて満足感が多い、この3つが私の当面の目標かな。それを実行するには昔のゲームのような必要最小限の部品の組み合わせで最大の効果を得るようなゲーム設計ですか。

 知恵の絞りどころ (2003/9/23)

 個人的にはゲームって1人で遊ぶにはつまらないと思うのです。友達と情報交換しながら、競争しながら、協力しながら、話の話題にしながら、遊ぶゲームこそ本当に楽しいものだと私は考えています。まぁ、理由を考えてみるに、攻略本の存在、ネットの存在、同じゲームを遊ぶ人が少なくなったこと、ゲームジャンル自体もシングルをメインとしたゲームが多いこと、などいろいろあるとは思います。昔は良かったと振りかえっても意味はありませんね、何故なら、昔という過去は2度と戻ってこないのですから。しかし、昔のような活況を呼び戻す方法はあるとは思います。その方法を探すことが知恵の絞りどころですね。

 これからへの展望 (2003/9/20)

 国産ゲームが不人気になってから久しく、奢れるものも久しからずとはその通りですね。何でこうなっちゃったんだろうと考えるに、まず遊び手側が参加する余地のないゲームがあまりに多くなったのではないかと思う今日この頃。それと今までの概念を打ち破るゲームを製作者側がぜんぜん提供しなくなったのが大きな原因かなぁと思ったり。
 さて、この状況を打破するにはどうしたらいいかを考えるに、まず当たり前の話ですが、製作者側は買ってくれる人に喜んでもらい、満足してもらえるゲームを製作して、売ることですね。まぁ、これが一番難しいのですが、これをしないことにはお話にならないですね。そのためには製作者側は遊び手側の意見をよく汲み取って、それを真摯に受け止めて、製作に還元していかないとダメですね。今までの概念を打ち破るゲームというのは本当の天才にしかできないことだと思うので、こればっかりはどうしょうもないですね。ただ天才が生まれ出てくる土壌をしっかりと準備しておくことぐらいでしょうか。

 徒然なるままに。 (2003/9/20)

 なんとなくゲームに関することを書いてみたい気分になったので、このコーナーを開設してみました。ただし、更新不定期、製作者の気の向くままに書き散らしていきたいと思います。まぁ、誰かの何らかの波紋になればいいな程度に考えています。